
GITAKU 技拓株式會社 白鳥和正
家を建てることを生業とする者はあくまで技術者でなければならないか。
白鳥和正は設計の向こう側から家を見ていた。湘南という特別な地域には燦々と降り注ぐ
陽光とひきかえに、雄大な海が持ち込む塩害や海風といった条件が交錯する。
「湘南らしさ」も命題であり、図面にはない感性と智慧と経験が要求された。
アーキテクチュラル・ブランドストーリー〜これは語り継がれる物語である。
プロフィール
白鳥和正/しらとりかずまさ
1941年2月6日。藤沢市鵠沼生まれ。生粋の湘南育ち。
地元の私立湘南学園を経て立教大学経済学部を卒業。
アメリカンフットボール部に所属したほどのスポーツマン。1971年建築関連企業に営業と
企画で参画。しかし1974年ツーバイフォーの技術者納賀雄嗣氏とともに
技拓株式会社を設立。
会社経営、営業面を担当する。主たるは民間住宅が中心だが、青森県八甲田ホテル、
守屋町国際交流センターなどの大規模建設にも技術指導企業として参入した。
1982年横須賀S邸が神奈川建築コンクール優秀賞、
1993年リバーサイドテラス山本(藤沢市)で奨励賞を受賞。
創業以来34年、住宅実績およそ700棟に達する湘南の老舗ブランドの創業者である。
※バイザシー取材記事より
(創業の)1974年というのは、オイルショック直後で世の中が急転直下のころで、当時の建設省が
2X4をオープン化した年です。ですから僕の気持ちの上でもこの年は特別なものがあります。
新工法だしパートナーの納賀氏は2x4については非常に詳しい。シンプルだったんです。
ところが3年後には設計と運営という立場からパートナーシップを解消することになるんですが、
でもその3年間というのは強烈で、建築物に対する考え方というものを頭の中に植え付けられた
インパクトのある3年間でした。
家という一つの像を作り上げていく時に、それはその人に生涯くっついてくるわけですね。
一世一代に作るものですから簡単に「飽きた」というわけにもいかない。いずれその家を出ていく
まで、どうやって極めて快適に住むかが課題になってくる。
その当時は間数があって整合性があっていわゆる「利用しやすい家」ということに限定されて
いたんです。そこで「飽きない家」ということに課題があるなと気づいてくるわけです。
家というものをどうやって快適に過ごしていくか。
時として考え過ぎておぼれちゃうこともありました。
お施主様はその家に30、40年住むことになる。その節々にお子さんが生まれたり、
中学校、高校に行く。就職して地方に行ったり。
そのかわり今度はおじいちゃんやおばあちゃんが来る。家の中の人口は変わります。趣味も変わる。
ですから今現在の状況で頭の中がこり固まっちゃうんですね。
冬に話をすると暖房のことに集中する。夏なら冷房ですよ(笑い)クローゼットのなかに
引き出しなんか作ってもほとんど役立たなかったですね(笑い)。
ああ作ることをすすめすぎたなあとね。
大きな家具という物も使用目的を失うと役立たず。
結局快適性というのは暗中模索で求めていくものでした。
そんな細かいことからずいぶん勉強しましたけどね。
木はですね、僕自身とても好きな仕上げ材なんですね。
ただ木というものは適材適所で選ばないとすぐに腐ってしまうわけです。外壁材なんかも間違った
使い方をするとすぐだめになってしまう。塩害というものは一番大切なことだと思って今でも
守っていることなんだけれど、その塩害に強く、使う材料によっては今でいう通常の
サイディング材、モルタルのサイディングよりも費用がかからない、なおかつ丈夫である。
これは建物が長生きする上で、生涯コストを節減する大変な素材なんです。
ふつうの家では60年くらいで3回くらい塗り替えるでしょう。でも木はこの枯れる色が嫌いで
なければ、ほとんど一生何もする必要がない。もちろん差し換えはありますけどね。
1回に150万円かけたとすると3回で450万円をかけることになります。大きいですよ。
ですから「時を経てさらに趣のでる家づくり」というキャッチコピーのように、まさに我々に
チャンスを与えてくれている素材なんですね。
しかし、当初は不安の方が先立ったんですね。このまま「木」で進めていっていいんだろうかと。
お客様の要求とわれわれの供給はいろんなことの繰り返しでした。
でも20年後くらいからですね。
木もここまで経年の変化を楽しませてくれるならば、これは押し通してきてよかったことであって、
迷わずやっていこうと。
木との出合いというのは、一時カナダの会社とビジネス関係がありましてね。その当時はいわゆる
農林規格が日本工業規格にどんどん駆逐される時代なんです。
木という自然素材から化学(ばけがく)の素材に、家までが占領されつつあるわけです。
とくにビニールクロスはその代表選手ですよね。
たとえば当時洋間というのはひと間で、あとは全部和室で構成されていたんです。
聚落壁、あるいは漆喰壁でした。それが洋室という構成が多くなると同時に化学製品が侵入して
くるわけですね。断わりもなしにズケズケと(笑い)。それがやはり安いものですからワーっと
集中しちゃうんですね。結果昭和40年代は、われわれは化学の中で暮らすことを余儀無くされる
わけです。床はニドルパンチカーペットというこんな薄いカーペットにソフト幅木、石油製品
ですがノリではりつける幅木です。それにビニールクロスでしょ。
木が使われているのはドア枠だとか、窓枠だとかそういうところだけ。
その後に枠すらが化学製品にコーティングされたものに占領されそうになったけど、まあなんとか
木枠だけは残ってるかな。建物というものは、なんといっても長持ちをしなくちゃいけない。
無垢材というものの良さと無垢材がなぜ長もちするかというとことが課題です。
だいたい木は樹齢と等しく長もちするといわれているんです。100年ものなら100年。
このくらいの木なら広葉樹で200年くらいの樹齢があるんじゃないですかね。
思い入れがあるのはやっぱり一番最初の三浦邸かな。そこが全部米杉で技拓第1号。
当時(2x4m工法が)オープン化された直後ですね。いまも矍鑠(かくしゃく)として建って
いますからありがたいものですよ。まさに時を経て趣が出る家。
達成するにはものすごく大きな課題だけど、わたしにとってはこの課題だけがすべてですね。
こびりついっちゃって何が「湘南人」だかわかりません。(笑い)我々としては海とか雄大な
ところで育って、単純にひとつの生き様だったし、ゆとりを与えてくれる場所ですよね。
当時終戦が昭和20年で私は4歳です。まだ小学校なんてボロボロでね。
今みたいにプールなんかないから、夏場の水泳の時間となると鵠沼の海に行くんですよ。
今のプールガーデンのところに25メートルのプールがあってね。当時は淡水の競泳プール
なんてなかったけど、水を入れ替えてないから、ぼうふらだ、あめんぼうだって、
汚くてねえ(笑い)。ですから先生が見張りについて海で水泳をやるんですよ。
それで海が大好きになる。
学生時代はそこのパラソルは誰々さんだって全部分かるくらいでした。
なかのいい仲間が集まった。そういう環境を味わった人は、当時の夏を忘れられない。
ほのぼのとしたおつきあいで。振返ってみれば我々はその地に育っただけで、湘南ボーイ
なんていうのは意識したことはなかった。
石原慎太郎が書いた「太陽の季節」、あの頃からじゃないですか。湘南とい名前をお互いが
意識してきて、この辺の人たちも「我が世界」というのを意識しだしたんですかねえ。
本当の自然の中でほのぼのとした環境で育ったといういい面を持ちながらも、
「俺は湘南人なんだ」ということをなんとなく言い出してから急にクローズアップされた
ような気がしますね(笑い)その時代に育った人たちはみんなそう思っているんじゃないかなあ。
湘南カジュアルというのはちっとも派手じゃない、都会らしくもない、
Tシャツみたいなものかなあ。
袖口とか襟口がほずけだすと良さが出てくるような感じ。一つの物を大切にしながら経年の
変化を楽しむ。何となく清潔感があり都会人にはできないオシャレ。
あんまりお金もかかってないと。たとえば色使いでいえば『ウエザード(weathered)』、
風雨にさらされて、自然の気候によってよくなるもの。それはここ湘南に育った人だったら
分かるかもしれない。ただ建物自体がまだまだ表現しきれてないと思うんですよ。
冬から1年をひとまわりして次の春を迎えるまでの、一番快適な頃というのはやはり青葉の頃。
そしていわゆる海から風が吹いている時期はそれなりに夏なんですね。陸から風が吹き出すと
凪いできれいな海になりだすんです。今でも小動(こゆるぎ)に出て鎌倉方面に向かうと、
いい場所だなって思いますよ。
ぼくは静かな秋と冬の海というのが、夏にはない海で一番好きなんですが、その時期にちょうど
陸から吹く風は爽やかですね。
5月頃で紫外線が一番強い頃や梅雨が終わってようやっと夏が来るころ。
そんな湘南の気候から、いまだに家の風通しというのを一番意識します。
だから「余分な空調はやらないほうがいいんじゃないですか」と言う。あの体感する爽やかさを
空調に馴染んで当たり前と思っている今の人たちに味わせてあげたいなと思いますよ。
そよそよとふく夏風なんていうのはいいものですよ。一番大切なのは気候風土というものを
最大限に利用する、意識するということ。
ですから建築業というものは「地場産業」でなければいけないという考え方なんですよ。
時を経てさらに趣のでる家〜木の素材ですとか、
気候風土をどうやって家の中に取り入れていくか、
その中で考え出された技拓なりの、白鳥なりの手法として選ばれたたのが木壁であり、
木材をできる限りくどくならない範囲内で使っていくこと。
床と天井をやって中間で白い壁ですとか。
同時に、家が主役であってはいけません。いつでも施主の脇役であってね、
施主の思うがままに使用、運用される家。壁が絵より素晴らしくても困るし、プラントの
緑より爽やかすぎても困る。従たる立場で住んでいる人を温かく包んでいるものです。
それが本来の住宅のあり方であろうと。ですが表現方法というのは時代性も多少あるでしょう。
ただ数十年使用したお施主さんが未だに快適に住んでいるということも事実なんです。
「バイザシー」で取材してもらった家(前号14号巻頭/秋谷N邸)も、27年も前だけど、
プラン的にはまだ十分に使えますよね。狭さを感じるとか不都合は感じない。
(家を建てるのは)今は35歳くらいですか。だからそういう人たちにも似合う家にしなくちゃ
いけないんですよ。
当初気に入ってもらって60歳の時にもよく似合うものにしなければいけないわけです。
その間の30年間のスパンの中で子供も生まれ、植えた木もこんなに大きくなっちゃう。
そんな過程を我々が責任を持っていくわけですから、最初の発想というのが非常に大切に
なってくる。
自分の財産(ヘリテージ)としてかわいがっていた家が、欧米みたいに建てた時と
同じくらいの価格で、むしろ価値がついたとかプレミアムがつくとか、
そうでなければいけない。お施主さん自体が価値ある物を求めていらっしゃるわけです。
技拓の作る家は高いという噂がある。それはなにをもって「高い」とするのか。
良質な製品にはわけがある。凛とした気品がある。「高級品」と「いいもの」は違う。
本来ブランドとはそうしたものだ。「美器をつくらんとするものは美食に通ずべし」という。
白鳥和正は家を造ることより、湘南のカジュアルさを追い求めているのかもしれない。
家は「うつわ」。そこでどんな家庭を作るのか。その家に住まう主役はあなたしかいない。